オコナイとは


 「オコナイ」とは、村内の豊作と安全を祈願し、一月から三月にかけて繰り広げられる祭り(民俗宗教行事)のことである。西日本で広範囲に執り行われており、島根半島の北部ではオコニャと呼び、同様の行事は有明海沿岸の村でも行われている。しかし、これほど高密度にオコナイと呼ばれる行事が村々で営まれている地域は、滋賀県をおいてほかにない。とりわけ、琵琶湖の北部にあたる湖北地域と、湖から離れた内陸部の甲賀地域において盛んである。しかしながら、その由来や変遷を辿ることは現在では困難になっている。
 基本的には、御鏡をつくり神仏に供え、直会があり、次の年のトウヤ(頭屋・当屋・塔屋/「屋」を「家」とする場合もある)を決める。しかし、そのディテールは村々によって、御鏡の形状や供え方、つくりもの、神饌、注連縄(しめなわ)など全て、隣接する集落であったとしても、異なっている。

高月町東阿閉


木之本町西黒田
木之本町西黒田



妹のオコナイ(東近江市妹町)


東近江市の曾根(そね)・妹(いもと)・中戸(なかと)・鯰江(なまずえ)の集落が守り伝える春日神社の祭礼である。
御祭神(ごさいしん)を本社から各宮座へ迎える「降神祭」があり、祭りの当日、再び御祭神を本社へ奉納する。
御祭神は板御幣(いたごへい)で、一時代前の木製の雪かきに似ている。
 「妹」は本来「井元」と書いた。春日神社には大神社講・弁水(べんすい)講・神部(かんべ)講・田楽(でんがく)講・星生(ほっしょう)講・新弊(しんぺい)講の六つの宮座があり、この六つの宮座は愛知川の用水権と深く関わりをもっていた。
板御幣は水を堰き止め、田畑に水を引き込む用水板だろうか……。

 板御幣が「雪かき」に似ていることから、地元では「雪かき祭り」とも呼ばれている。


(c)masaki sugihara / LIXIL Publising

(c)masaki sugihara / LIXIL Publising

聖と邪の境界


中島誠一氏のコーディネイトによる「聖と邪の境界」を巡るツアーである。勧請縄や山の神講、集落の結界を訪れる。

東近江市五智町の勧請縄



東近江市五智町の勧請縄


清凉寺(9日座禅・朝食)


 清凉寺は、初代藩主の井伊直政公が関ヶ原の戦いの傷が元で亡くなった時(慶長七年・1602)にこの地を墓所とし、直政公を開基とする井伊家代々の菩提寺となった。山号は「祥壽山」。直政公の戒名「祥壽院殿清凉泰安大居士」による。
 井伊直弼公は信仰心の篤い父直中の影響をうけ、幼少期から仏道に関心をもち、清凉寺で禅の修養を始めたのは13歳。21世道鳴、22世師虔、23世仙英、歴代の和尚に学び修禅に励んだといわれている。参禅道場には、直弼公が使っていた座禅を組むための椅子が遺されている。
 清凉寺の境内地は佐和山城時代に石田三成の奥方及び家老・島左近の屋敷があった場所とされている。
 座禅堂前のタブの木は、25種類以上の宿り木やシダ類などが寄り添い樹齢700年以上という。島左近が屋敷を構えていた頃から今も在り続けている。清凉寺の七不思議のひとつ「夜な夜な女に化けて参詣者を驚かせた木娘」の話が伝わっている。





一圓屋敷・多賀「里の駅」(8日夕食)



一圓家は江戸時代の庄屋で、屋敷は安政4年(1857)に建てられたとされ、平成20年に所有者の一圓六郎氏よりNPO法人彦根景観フォーラムに譲渡された。現在は同団体と、地元住民らで組織の多賀クラブとが結成した団体「多賀『里の駅』」が地元の町おこしの拠点として活用している。敷地1,678㎡、建物面積が約560㎡。3つの蔵がある。

一圓家年表

寛文 1661年頃 初代 高重 江戸時代はじめに初代(1672年没)
    2代 高義 杢太夫(もくだゆう)を世襲(1705年没)
正徳 1711年頃 3代 高次(友之助)(1758年没)
宝暦
1751年頃

4代 秀綱(弥惣八)(1795年没)

寛政 1789年頃 5代 秀経 (杢太夫)(1793年没)
享和 1801年頃 6代 秀成 (弥惣八)(1808年没)
文化 1804年頃 7代 秀房 (杢太夫)「庄屋」の初見(1829年没)
天保 1830年頃

8代 有秀 (杢太夫)「庄屋」の初見(1881年没)
安政4年1月、現在の場所で屋敷の普請開始。5月11日、井伊直弼の領内巡見。 

明治 1868年頃 9代 秀延 (弥太郎)(1891年没)
 

10代 秀褒 (杢太夫)
明治14年生、26才で郡会議員。その後、大正期まで行政委員を歴任。 醒井村より国会議員であった江龍清雄(えりゅうすがお)の二女が嫁入り。明治政府の重鎮であった東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)との交流。東久世は一圓屋敷1階次の間に掲げられた扁額「対山軒」の筆者。明治24年、屋敷は茅葺きから瓦葺きへ。2階の増築。明治34年~40年頃、日本画家の内海吉堂(うつみきちどう)が滞在し、衝立や戸棚などに絵を描く。

昭和 1926年頃 11代 菊太郎 
    12代 六郎 現当主 

※一圓家譜面・滋賀大学経済学部附属史料館「一圓六郎家文書」約650点より、母利美和(京都女子大学教授)が調査。
※屋敷の普請についは、濱崎一志(滋賀県立大学教授)が調査。
※屋敷の絵画については、上野良信(滋賀県立琵琶湖文化館学芸員)が調査。
※名前は私的な名のり。(  )は公式な通称。


岡村本家・遊亀亭(9日昼食)



岡村本家


彦根藩主井伊大老より酒造りを命じられた造り酒屋。「金亀」「大星」のブランドで有名。今も1枚ずつ袋に入れて木艚で搾っている。効率は悪い、重労働な反面、お酒に優しく搾りすぎないため、お酒の品質の良さはもちろん、酒粕も多くのお酒を含み「金亀の酒粕」として人気がある。


昼食の後、旭堂南海師の講談を聴く。


遊亀亭


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